- 今までのやりかたを疑ってみませんか?
おそらく多くの人は「技術論的知識は知らないよりは知っていた方が上達が早い」と素朴に考えておられると思います。本当にそうでしょうか。技術論的知識はとても詳しいが、滑りは?という人は決して少なくはありません。また、わたしも実はそうでしたが、スクールには頻繁に入ってはいるが、その割には上達があまり見られない人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。
スクールにたびたび入っている人は、おそらくインストラクターの人から非常に多くのアドバイスや技術論を何回何十回と聞いているはずです。にもかかわらず、上達がなかなか進まないと感じているならば、今までの方法論(やり方)そのものを疑い、上達のために必要な、より本質的なことが他にあるのではないかと考えてみることも必要なのではないでしょうか?そして、より正しい有効な方法論を導き出すことにより、初めて確実な上達も保証されるものと思われます。
- 理論的知識は知っていた方が早く上達するか?
この問題について考えるには先ず、理論的知識とは何か?それはどのように作られたかを考えてみる必要があります。次にその理論的知識は学習者にとってどのような意味があるのかを考えてみたいと思います。
普通スキーなどで理論的知識と考えられているものは専門誌などに載っている技術論や卓越した技術を有した著名な指導者や演技者などの技術論がその大半でしょう。それらの技術論はその大半が運動の力学的・運動学的解説かもしくは、エキスパートの滑りや感覚を無理矢理言葉にしただけのものにすぎません。
そのような力学的解説や感覚の言語化が学習者に役にたつとは思われません。
自転車や一輪車をのりこなすための力学的解説や運動学的解説を聞いたからといって自転車や一輪車に乗れるようになるでしょうか?一輪車のエキスパートからバランスをとるための感覚やコツを聞いたところで、それらの感覚やコツは極めて個人的なものです。従って、その感覚は人様々です。同じ局面の感覚でありながら、人によって感覚の表現の仕方が違ってくるのは当然のことなのです。
またそれらは出来るようになって初めてわかってくるものです。出来ない人にいくらその感覚を説明したところで出来ない人にとってはまったく理解できないはずです。
問題の核心は「理論などをわかっているほうが上達が早くなる」と言えるか、という点でした。つまり「わかる」は「できる」に役立ちうるか否かということでしょう。この問題についての詳細は「できること」と「わかること」:PART3ー「見える」ということーの中で解説されていますので、それをお読みいただければと思います。
僕の結論は条件付きで役立つというものです。
その条件とは1.その理論は技術の本質を照らし出す、十分検証された万人に当てはまる理論であること。2.その理論はその人の運動感覚や身体感覚に響きうるものであること。3.その理論は運動技術や新しい運動感覚を見抜くために役立ちうるものであること。
つまり、「わかる」は他人の滑りや自分の滑りのビデオ映像から、何かを見抜き、何かを発見するためにこそ役立てるべきものです。映像や感覚的イメージと関連づけない言葉だけの技術論(例えそれが権威ある科学的技術論であったとしても)は上達になんら役立たないというのが僕の見解です。
- 自分の方法論(自分の感覚が頼り)
一般的な方法論は、他人の感覚を他人の言葉で分析した、その言葉を参考にする方法です。つまり他人の言葉により他人の感覚を解釈していることになります。もっといえば言葉により感覚を得ようとしているわけです。果たして感覚とかイメージとかコツは言葉にできるでしょうか?雪を見たこともない外国人に雪や雪の冷たさを言葉で説明しきれるでしょうか?同じように自転車にふらつかないで乗る感覚を言葉にできるでしょうか?確かに倒れないための力学的、物理的説明はその分野の専門家ならばできるでしょう。しかし、その説明を聞いて、その感覚がわかるでしょうか?
一方僕のとる方法論は感覚は言葉で分析しきれない(分析してしまうと別のものになる)という立場なので、自分の感覚を便りにしています。そこからスタートしています。したがって、指導者の滑りをその場ではとりあえず模倣することを第1に考えています(本当は自分に欠けている、もしくは未熟練な技術要素を感覚で盗みたいのですが指導者の演技はあっという間に目の前から消えてしまうので、非常に難しい。)したがって、指導者の滑りや自分の滑りの分析は後に宿舎でビデオで撮った映像により、自分の感覚をたよりに分析しています。ですから指導者やデモの言葉によるアドバイスは模倣のための補助手段にしかすぎません。滑っているときは、たぶんこうだろうと思う感覚的イメージないしはある局面の力動的イメージ(力をどのように、どのようなタイミングで入れているかというイメージ)のみが頼りです。また、自分が実施した結果についての分析がどれだけ正確に行われているかも重要なポイントだと考えています。その際も指導者のアドバイスをそのまま鵜呑みにせず、それも参考にしながら、出来ればビデオを撮って、あくまでも自分の感覚に基づいて分析することが重要と考えています。これらのことがどれだけ行われるかによって、上達の早さも変わってくるでしょう。
実際には自分がこうだと思った感覚はやっているつもりだけで錯覚である場合(やっているつもりだが出来ていない)も当然ありうる(その方が多いかも)ので、試した結果を映像で分析して(その場合の分析は言葉による物理的、力学的分析ではなく観察による分析)、自分が描いたイメージと実際の滑りの違いをなぜそうなってしまうのかも含めて自分の感覚で矯正するという方法です。つまり、模倣したい他人の感覚を他人の言葉で捉えようとするのではなく、他人の滑りと自分の滑りの映像を基に、その映像をあくまでも自分の感覚やイメージで捉えてみて、そこから新しいイメージや仮想的感覚(まだ試していない仮の感覚という意味)を得ようとする方法です。
- 全体の本質は部分からは決して見えてこない
ある技術(例えばカービングの技術)は1つの全体であって、その動きを分解することはできないということを指摘したい。カービングがうまくできない原因は複数あっても、それらを1つ1つ改善していけば全体ができあがるというものではない。よく言われるように全体は部分の総和以上の何ものかであります。全体はいつも一挙にそれもある時突然できあがります。
つまり、例えばカービングの技術とは何か、という問題について、いくつかの技術的要素を挙げたとしても、それらはあくまでも要素、すなわち部分にしかすぎません。部分をいくら集めてもけっして全体にはならない、ということです。全体の本質は部分からは決して見えてこない。全体の本質は全体を見る中でしか見えてこない。ちまたに溢れる技術論はそのほとんどが分析論であり、部分論と思われます。
ではどうすればいいのか。部分から全体を構成するのではなく、最初から全体を作り上げるのです。自転車や一輪車や機械体操などはみんなそうして覚えていきます。もちろんその全体は当初は当然欠点だらけのものです。その欠点はいくら技術論を読んでも改善されることはないでしょう。大切なことは欠点がなぜ欠点となっているのかを理論的にではなく、感覚的に了解していくことだと思っています。そのためには滑っているだけではだめです。自分の滑りと欠点の少ない滑りをビデオ等で比較して観察する中で自ら感覚的に発見していくことが大切です。感覚的な違いが発見できれば、それは実践を繰り返して、さらにフィードバックしていく中で少しずつ改善されていくはずです。
小部屋5(sub2-R5)
- 今までのやりかたを疑ってみませんか?
- 理論的知識は知っていた方が早く上達するか?
- 自分の方法論(自分の感覚が頼り)
- 全体の本質は部分からは決して見えてこない