小部屋6(sub2-R6)
- 言葉の由来と言葉の限界
- 科学的世界と日常の生活世界(客観的世界と主観的世界)
- 「周辺視」と「中心視」
- 言葉の由来と言葉の限界
言葉という漢字は「事の葉(端)」から由来しています。樹木に例えると本当に言いたいことは樹木全体もしくは樹木の根っこについてなのですが、われわれは樹木全体を言葉で説明するとき、その言葉が一本一本の枝の先の葉っぱ(言葉)である以上、到底樹木全体や樹木の根っこは説明不可能となります。
- 日常言語と専門的理論言語
ある本を読んでいたら面白い記述に出会いました。「科学のある領域における専門的理論言語は・・・それを共有する共同体は小さく、そのメンバーは少ない。そこでは、1つ1つの概念が比較的曖昧さを持たずに使用されており、・・・そこで人々が認識する世界も・・・比較的明瞭に分節化されており、多重的、多義的な解読はむしろ禁止されている。・・・(一方)日常言語系は、むしろ多義的であり、曖昧であることを特性として持つ。したがって、その共同体に属する個人の存在様式も多様性が許容される」(『新岩波講座哲学:記号・論理・メタファー』村上陽一郎「説明・記述・理解」)
つまり専門的言語では言語の曖昧さは少ないが、その言語を理解してくれる人が限られ、日常言語では逆にその言語を理解してくれる人は多いが、その理解は曖昧で多様なものになるということでしょう。なるほど。そうすると、このような所で自分の考えや主張をわかってもらおうとするならば、それが専門言語に近ければ、その内容をわかりやすく説明する必要があり、逆に日常言語だったり、それに近ければ多様な意味に解釈される可能性がある、ということを考えて言葉を選び、説明していくことが必要なのかなとその本を読んで再認識した次第です。
- 科学的世界と日常の生活世界(客観的世界と主観的世界)
我々の思考の世界には近代科学に基づいた科学的世界と日常の生活世界の2つが存在します。
前者は人間の主観や主観的態度とは独立した、ある対象の普遍的構造の究明を目的としている世界であり、そこから得られた物理学の命題や法則や科学的知識というものは抽象的にならざるをえません。また、その性質上その意味は直接的、実践的に理解できるものではなく、我々の日常的知覚や感覚を越えた、無味乾燥なものと言ってよいでしょう。
一方、後者は我々の身体や感覚能力に基づいて、直接的、実践的に生きられる知覚的世界であり、価値的世界です。両世界はそこに我々が何を求めるかという目的が明らかに異なります。前者ではある対象が我々の認識の仕方とは関係なく、その限界を超えて、対象の構造を明らかにしようとするものであり、後者では我々の主観や感覚能力を頼りに対象の意味や価値を了解しようとするものです。
要するに、理論的知識とは科学的世界からの産物であり、それは高度な知識になればなるほど、抽象性が高まり、我々の感覚や日常的知覚からはほど遠いものとなり直接的にも実践的にも理解不能なものとなっていきます。
ひるがえってスキーなどで新しい技術を覚えようとする場合は自分の身体や感覚がその技術を了解してくれなければならないわけで、いわゆる身体や感覚でわかる必要があります。それは日常の生活世界の問題であり、理論的知識はそのような世界とは別次元の抽象的世界の問題であるということになります。
- 「周辺視」と「中心視」
ある日、僕が交差点で信号が変わるのを待っているとき、僕の目の前でバイクと乗用車の右直事故が起きました。車の方は黄色で右折しようとしたところ(ウィンカーを出していたかどうかは不明)、バイクがその車の右側を直進しようとして衝突しました。不注意は双方にあると思います。まず車は右後方のバイクに気づかなかったこと。それとウィンカーを出すのを怠ったか、出すのが遅すぎたことが考えられます。僕は普段自転車に乗っていて、ウィンカーを出すのが遅い車が非常に多いのに驚きます。次にバイクの方は交差点で車の右側を直進するのは論外としても、例え車がウィンカーを出していなくても、右折するかもしれないという予測さえしていれば事故は防げたと思います。いずれにせよ、双方とも信号が黄色であるにも関わらず、自分がつっこんでいるということは、他者もつっこんでくるという予測をしていなかったのが原因です。それは信号が黄色の時は、黄色から赤に変わるタイミングを計るために、どうしても注意が信号に中心化されてしまうことから起きると思われます。視点が中心化されると(そのような見方を中心視と言います)、周りが見えなくなります。車を運転するときも自転車に乗るときもスキーで滑るときも同様で、視点や心をどこにも置かずに周囲全体を見渡すように(周辺視と言います)行動することが無用な衝突を防ぐためには重要かと思います。車に乗る人はウィンカーを早めに出しましょう!そして周辺視を!ミニスカの女の子に中心視は危険です。どうしても見たい人はほんの一瞬でイメージに焼き付けましょう!