小部屋4(sub2-R4)

  1. 「頭でわかる」と「身体でわかる」の違い(言語知と身体知、暗黙知)
  2. 「身分け」と「言分け」
  1. 「頭でわかる」と「身体でわかる」の違い(言語知と身体知、暗黙知)
    「わかりかた」には頭や言語でわかる「わかりかた」(言語知)と身体が了解する、身体でわかる「わかりかた」(身体知)が存在している。スポーツを教わったり、教えたりする場合、我々はいつも身体知(ないしは感覚運動知)を求めていることを忘れてはいけない。
     それを前提に考えていくと、ここで本質的な問題として浮かび上がってくるのは身体知はスポーツのルールを教えるような言語的方法では教えることが出来ない、という問題です。身体知や身体感覚(運動感覚)はあくまでも当人が発見したり、気づいたりするしかないのです。そこで器械体操の指導者などは直接身体に触れて動きを矯正する幇助により、未知の感覚に気づかせるという方法を取ります。しかし、スキーなどではそのような直接的な幇助はできないので、別の方法を探すしかありません。いずれにせよキーワードは「気づく」「気づかせる」ということでしょう。それはもちろん頭で気づくのではなく、身体が気づくのでなければなりません。
  2. 「身分け」と「言分け」
    2001年1月号のスキージャーナルのP.148以降に「言葉では伝わらないこと」というテーマで元全日本とアメリカの両国でバレーボール選手だったヨーコ・ゼッターランドが次のような非常に興味深いことを述べています。

     
    「もともと人間は言葉を持っていなかったわけですよね。でも感じることが出来た。スポーツをしているときの状態はこれとすごく似ていると思うんです。・・・言葉で簡単に伝えられるがために、失われたものって、きっとあると思うんです。それがスポーツをしたとき、見たときによみがえる。昔持っていたものが呼び起こされて研ぎ澄まされる。スポーツってそういうものじゃないか。」

     そのような彼女の考えと、ほとんど同じようなことを実は言語哲学者の丸山圭三郎も『文化のフェティシズム』という本の中で詳しく論じています。彼曰く、動物の中で人間だけが言葉を持ってしまった。それゆえ元来身体で世界を分け、認識していた(身分け構造)のが、言葉により世界を分け、認識するようになった(言分け構造)。それにともなって、その言葉(言分け構造)が人間の本来持っていた身分け構造を壊す結果になった、と述べています。彼は次のように述べています。「動物は自然界にあるものは(人間が意図的に毒を混ぜたまんじゅうなどは別にして)食べられるものと食べられないものを知っています。しかし、人間は言葉を持ってしまったために、そのような身分け構造が破壊され、食べていいものと食べてはいけないものという区別しかつかなくなってしまった」。

     先ほどのスキージャーナルの記事で館内という人はこう述べています。「僕はエンジニアをやっていたんですが、コーナーから出てくる瞬間を見れば誰だかすぐにわかる。・・ジャーナリストはわからないけど、カメラマンはわかるんです。・・・ジャーナリストは言葉で見ているからわからない。カメラマンは感覚で見ているからわかる。」(p、150)
小部屋1(sub2-R1) 小部屋2(sub2-R2) 小部屋3(sub2-R3) 小部屋4(sub2-R4) 小部屋5(sub2-R5) 小部屋6(sub2-R6)
トップページ プロフィール  論文 エッセー 情報コーナー ライフワークと今年度研究テーマ 大好きなスポーツ