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人はいかにして新しい 運動を覚えていくのか X:運動感覚をともなった自己運動イメージの獲得を目指して |
<人はいかにして新しい運動を覚えていくのか>:PART5
ー運動感覚をともなった自己運動イメージの獲得を目指してー
はじめに
スポーツの練習では、イメージトレーニングという言葉がよく出てくる。まず、このイメージトレーニングというものは何を目指すもので、どういう内容でなければならないかをまず確認しておこう。
1.図式的イメージと自己運動イメージ
私はバック転を習ったこともなければ、自分で試してみたこともない。しかし、バック転はテレビ等で何度も見ているので、そのイメージは持っている。したがって、私はバック転のやり方は頭ではわかっている。しかし、(試してみたことはないが)おそらくできないだろう。
なぜなら、確かにやり方のイメージは持っているが、そのイメージは図式的な絵に描いたようなイメージであり、自分が行っているイメージではないからである。自分が行っているイメージを描こうとしてもやったことがないので、例えば自転車に乗っている時のイメージと同じようにはイメージできないことに気がつく。
自転車に乗っているときのイメージは今までの自転車体験に基づいたものであるが、バック転のイメージは実際の体験がないので、自分が実際に試している「自己運動」(他者のではなく自分の運動)に基づいたイメージは描けないのである。ここに、図式的イメージと自己運動イメージは全く異なることがわかってくる。
2.図式的イメージから自己運動イメージへ
ここにおいて、いわゆるイメージトレーニングもただ単にビデオを何回も見て図式的イメージを焼き付けるだけでは意味がないことがわかってくる。ビデオから見えてくるものはあくまでも図式的イメージである。そこに流れている動きは私の運動ではなく、他者の運動である。他者の運動をいくら眺めて、その模倣を試みても精形態の獲得には至らないことは既に指摘した通りである。
そこで、実際に身体を動かすわけではないが、あたかも自分がそのビデオに登場しているかのごとく、ビデオの動きに自分を重ね合わせて自分が今動いているように想像するのである。
その想像運動(すなわち、イメージの中での運動)により、ある運動局面は今までの運動体験からその運動感覚が分かり、ある局面は分からないということが起きてくる。そのわからない局面こそ、これから獲得して行かねばならない運動局面なのである。また、分からないわけではないが、すなわち、図式的イメージは描けるが、自分がするとどうしても違う動きになってしまうという場合もあるだろう。
いずれにせよ、まずそのような局面を発見する事が第1である。
そして、次にその局面のさばき方の図式的イメージではなく、「仮の想像的」自己運動イメージを作り上げるようにする。自己運動イメージに「仮の想像的」という形容詞を付したのは実際の体験に裏打ちされていないという意味である。そのような自己運動イメージはただ漠然と見ているだけでは駄目で、あたかも書道の練習で見本の文字をなぞるように、自分がイメージの中でビデオの身体に入り込んで運動しているつもりにならなけてはならない。それは一種の想像運動という身体を動かさないイメージの中での運動である。
そして、いよいよそのような仮の想像的自己運動イメージにしたがって、実際に動いてみることになる。すなわち、仮の想像的自己運動イメージに体験に基づく運動感覚という中身を入れていくのである。それでもすぐにはそのイメージ通り動けるようにはならないのが普通である。しかし、それらを繰り返すことにより、実際の動きや自己運動イメージは求めている運動イメージに次第に近づいていくことになるだろう。なぜなら、仮の想像的自己運動イメージがある限り、求めるべき対象すなわち、進みたい方向ははっきりしているのだから。
このように、イメージトレーニングは実際の身体を動かすトレーニングと相補的に利用して初めてその効果が上がることになる。そのようなトレーニング方法は以下のようなループ状の図式になる。

以上、図式的イメージの模倣だけで獲得が可能な粗形態を目指すのであれば別であるが、精形態を目指すイメージトレーニングはそのような、運動感覚に根ざした自己運動イメージの獲得を目指したものでなければならない。
3.指導者とその限界
さて、精形態を獲得するためには指導者の存在が非常に重要となる。自分一人で、イメージトレーニングと実際のトレーニングだけで上達していくことは我々のような凡人にとっては実際の所、非常に難しい。
さて、粗形態の中にある自分の欠点を探し、それを改善していくには今までにない意識や感覚が必要になってくる。逆に言えば、そのような意識や感覚が身に付いてくれば求めている運動技術の達成も間近いと言える。
ここでまず最初に確認しておくべきことは、現在自分が求めるべき運動技術はどういうものかを正しく理解するということである。この理解が間違っていると、いくら練習を積んでも求めるべき運動技術は得られないことは言うまでもない。
その次に、その運動技術の達成にはどのような意識や感覚が必要なのかを探し求めることになる。そのようなことがらを自分一人で行うことの難しさは容易に想像がつくだろう。そのようなとき、指導者に教えてもらうのがもっとも効率的であることは言うまでもない。
しかし、指導者に教えてもらう場合に忘れてはならない重要な問題がある。それは指導者から教えてもらってわかることと、わからないことがあるということである。指導者の立場から言えば、教えられることと、教えられないことがあるのである。指導者が教えられないことはあくまでも自分で見つけだすしかない。
では指導者のできること(教えられること)は何か。それは運動技術の言葉による説明であり、その実際の演技(示範)であり、生徒の演技の問題点や欠点の指摘である。観察眼や運動共感能力に秀でた指導者は、どの程度できているのかできていないのか、どの局面に問題があるのか、どういう意識や感覚が欠けているのかを的確に見つけだすことができるだろう。そして、それらを言葉で伝えることができるだろう。しかし、指導者のできることはそこまでである。そこで生徒の言うことはこうである。「頭ではわかった。しかし、身体が動いてくれない」と。
それでは、指導者のできないこと(教えられないこと)は何か。それは運動実施中の自分のコツや感覚の伝達である。運動を成功させるためのコツや感覚は自分で見つけだすしかないのである。それらは新しい運動を覚えるに当たって1番重要で、1番知りたいことであるが、その1番知りたいことが実は自分で実際に身体を動かしながら見つけださねばならないのである。スポーツの上達(運動の精形態の獲得)に時間がかかるのはまさにそこに原因がある。「身体で覚える」ということの本質はまさに、1番重要な事柄は自分で身体を動かして探さなければならないという問題にあるといって良い。優れた指導者は生徒自らそれを探させ、発見させるのが上手いということになるだろう。最後の問題はそこに焦点を当てることになる。
4.コツや感覚を発見するために
1)指導者は何をすべきか(何ができるか)
指導者は生徒の動きから求めている動きを引き出すために、1番欠けている動きを見つけだすことが第1の仕事となる。細かな欠点にはとりあえず目をつぶって、それさえできれば求めている動きの粗形態はできあがるという重要な欠落動作を見つけだすのである。
そして、その生徒に欠けている欠落動作をその生徒に伝えることが第2の仕事となる。その伝え方(伝える方法)には色々な方法があるが、テニスやバドミントンのように直接その動きを生徒の手を持って伝えられる場合には、その方法がもっとも生徒にとってはわかりやすいはずである。その場合、欠点のある生徒の動きと、求めるべき動きの両者の違いを身体で感じてもらうことがポイントとなる。身体で両者の動き方の感覚上の違いを体感してもらうのである。それにより、生徒は新しい動き方の感覚を発見できるようになる。そして、その感覚でもって新しい動きの粗形態を実践の場で繰り返していけば、その新しい感覚が徐々に鮮明になり、自分なりのコツが会得されていくだろう。
それではスキーのように直接的に手とり、足とりの方法では教えられない場合はどうしたらよいだろうか。まず第1の方法は直接的に教えられる場所でー例えば室内でー擬似的に伝える方法である。もちろん、ここで伝えられるものは実際の感覚ではなく、擬似的な感覚にしかすぎないことは言うまでない。したがって、その擬似的な感覚を実際の場で試してみると上手くできないということは当然起きてくるであろう。
そこで、実際の場での第2の方法が必要になってくる。それは、恐怖感を感じない、なるべく易しい状況の中で、求めるべき動きが本人が意識しない間に出現するような運動を指導者が考え出して行わせる方法である。それには指導者の当該運動技術に対する深い理解と、生徒の運動能力に対する理解とその生徒にもできそうな「類似運動」(求めている運動とその感覚が類似した比較的易しい運動=専門用語では「運動アナロゴン」という)を考え出す柔軟な運動創造力などが指導者に要求されるだろう。
2)生徒は何をすべきか
まず1番大切なことは、今1番自分に欠けている動きがどういう動きであるかを知ることである。自分の動きがどうなっているのか。求めるべき動きはどういう動きでなければならないのか。この2点を正確に把握することである。ところで、この2つは別々の問題ではなく、実は同じ問題の表裏である。自分の動きがどうなっているかを知るには、求めるべき動き、すなわち基準がわかっていなければ、それからどれだけかけ離れているかを知ることはできないからである。
さて、それを知るには2つの方法がある。1つは当該運動に深い理解を持っている人に自分のパフォーマンス(動き)を見てもらうことである。もう1つは自分のパフォーマンスをビデオに撮り、それを自分で観察する方法である。しかし、2番目の方法は、自分が既に当該運動について深い理解を有しており、求めるべき動きがわかっているという条件付きとなる。