<人はいかにして新しい運動を覚えていくのか>:PARTT
ー機械的反復と内省的反復ー

1.はじめにー日常運動とスポーツ運動の獲得プロセスの違いー
 人間が覚えていく動きの中で、歩いたり、走ったりという日常動作を覚えるのに悩んだ人はほとんどいないだろう。なぜなら日常動作は知らない間にいつのまにかできてしまっているからである。そして、日常動作は普通の健常者であれば例外なくできる。以下、日常生活の中で日常的に行われる運動のことをここでは日常運動と呼ぶことにする。
 このように、日常運動がいつのまにかできてしまうのはそれがまさに日常生活の中で繰り返し反復されるからである。子どもは覚えるのが早いとよく言うが、それも同じ理由から説明できる。子どもは遊ぶ時間が毎日ある。すなわち、興味を持ったら毎日できるし、毎日やろうとする。大人ではそうはいかない。
 しかし、スポーツで要求される技となるとそうはいかない。人が物心ついてから初めて新しい運動を覚えるのに悩んだ経験は自転車に乗ることではないだろうか。その後、人は新しいスポーツに接するたびに、新しい動きや技をかなりの時間を費やして覚えていかねばならなくなる。
 なぜなら、スポーツで要求される技は日常動作のみでは解決がつかないことが多いからである。歩いたり、走ったり、投げたり、跳んだりすることができても自転車に乗ることや泳ぐことはできない。自転車に乗るためには新たに別の技能を身に付けていく必要がある。そして、その技能は日常動作にはないため日常生活以外に時間を作って練習する必要が出てくる。学生はともかく社会人がそのような時間を毎日つくることは非常に難しいだろう。新しいスポーツを覚えるのにかなりの月日がかかるのはそのためである。以下、スポーツを行う中で要求される運動のことをここではスポーツ運動と呼ぶことにする。
 
2.機械的反復と内省的反復
日常運動の習得がまさにそうであったように、新しい動きを覚えるのに反復練習が不可欠であることは言うまでもない。しかし、反復練習する機会がそれこそ日常的にある日常運動ならいざしらず、日常以外にその場と時間を求めなければならないスポーツ運動においては、単なる繰り返しと、考えながらの繰り返しとではその上達スピードには明らかな違いが生ずることになる。ここでは前者を「機械的反復」、後者を「内省的反復」と呼ぶことにする。(「内省」とは辞書によれば「深く自己を見つめ直す」、もしくは心理学などでは「自己の意識経験を観察する」というような意味合いで使われ、単なる反省よりはより論理的な深い思考を加えたものである。)
 なぜなら、機械的反復は自分が実施した動きに反省を加えることなく、ただ同じ動作を繰り返すのみのため、欠点や悪い癖までもがその機械的反復によりステレオタイプ化されていくからである。何も考えず、ただ同じ動作を繰り返すだけの練習ー例えば、テニスの練習などで初級者に行わせる「素振り」などは特にそういう傾向があるーでは上達が望めないばかりか、ますます悪いフォームが固まるだけである。
 より良い動きが求められるスポーツ運動においては、ただ単に同じ動作を繰り返すのではなく、常に現在のフォームで良いかどうかを指導者等にチェックしてもらいながら、現状に満足することなく、少しでも質の高い、良い動きを求めていく努力が必要となる。そして、そのような努力は内省的反復により、初めて可能となる。
 
3.内省的反復の方法(上達の3原則) 
これまで、上達のための反復練習は同じ動作の繰り返しではなく、より良い動きを求めての繰り返しでなければならないことを説明してきた。そのためには、具体的にどのような態度や方法が必要になってくるかを次に考えてみたい。
 1)「見ること」
まずは、どのように動いたらよいのかがわかっていなければ、動けるはずはないだろう。そのために、人はまず見ることから始める。
 見るときは指導者の動きを見るだけではなく、自分と同レベルや下位レベルの人の動きを観察することも非常に重要となる。上手な人と下手な人とでは一体どこがどう違うのか、下手な人はどういう動きが欠けているのか、上手な人はどういう風に動いているのかを観察するのである。
 この場合は、ただ見るのではなく、何かを発見してやろうという態度が必要になってくることは言うまでもない。
 また、1回見たからといって、そう簡単に見えるものではない。また、そのイメージもすぐに消え去るのが普通である。何回も繰り返して見る必要がある。
 ところで、見ると言った場合、いったい何を見たらよいのだろうか?このことをしっかり確認しておく必要がある。それはまず、全体のイメージやリズムをつかむことであり、もう1つは重要なポイント(技術)を見抜くことである。「つかむ」にしろ「見抜く」にしろ、ただぼんやり見ているだけでは何もつかめないし、何も見抜けないだろう。今、自分は何を見ているのかを常に自分に問いかける必要がある。そうして初めて、何かが見えてくるか、もしくは見えないということに気づくだろう(そういう意識がない場合は見えないということにも気づかない)。

 2)「知ること」
 多くの指導者は見せれば(見せるだけで)わかってくれるだろうと思いがちである。しかし、見ている生徒の方は見ているつもりでも、重要なことは何も見えていないのが普通である。見ても「わからない」のである。このように、見て「わかる」ためには見方がわかっていないと知りたいことが見えてこない。すなわち、見るためには見ようとしている事柄についての知識が必要となる。スポーツの動きの中の重要なポイント(技術)を見るためにはそのスポーツについての技や技術についての知識が必要である。そのスポーツの技や技術についての知識がないと上手な人の動きをいくら見ても何も見えてこない、ということになる。

 3)「見てもらうこと」
 自分では言われた通りやっているつもりでもできていないことが多い。できているのか、できていないのか。何ができていて、何ができていないのかを指導者に見てもらうことは非常に大切である。欠点があるのに、それに気づかないでいくら練習しても、その欠点が固まるだけで、いつまでたっても上達はしない。よほどの天才でなければ見てもらうことなしに進歩はないと言っても過言ではない。

 4)「意識すること」
 実際の練習では、今もっとも修正すべき自分が陥りやすい欠点に関して、どの局面でどのような注意を払い、どうすべきかに意識を集中する必要がある。そのように自分の動きや運動感覚を意識する(「自己観察」と言う)ことによって、徐々に運動感覚が研ぎ澄まされ、自分の動きをコントロールできるようになってくる。
人はいかにして新しい運動を覚えていくのか
T:機械的反復と内省的反復
人はいかにして新しい運動を覚えていくのか
U:初めての「出来た!」
人はいかにして新しい運動を覚えていくのか
V:技の粗形態と精形態、
人はいかにして新しい運動を覚えていくのか
W:人はどこまで上手くなれるのか
人はいかにして新しい運動を覚えていくのか
X:運動感覚をともなった自己運動イメージの獲得を目指して
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ー機械的反復と内省的反復ー