PARTV:「見える」ということ
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1.はじめに
 あるスポーツを新たに覚えようとする場合、その人はそのスポーツで要求される基本的な技をまず身につけていく必要がある。その技とはある課題を達成するための方法についての名称であり、鉄棒で言えば逆上がりやけ上がり、スキーであればプルークやパラレルなどがそれにあたる。(この小論では技と技術を区別することになる。すなわち、一つの技の中にいくつかの技術要素が存在すると考える。)
 その場合、学習者は自分がすでに身につけている技や基礎技能を手がかりとして、それでもって与えられた課題を克服しようと試みることになる。
 しかし、与えられた課題が今までに経験していない課題であれば、その場合、全く新たな基礎技能が必要になってくることもある。例えば、水中で浮くことのできない人が水泳を習おうとする場合、まず水中のなかで浮く、という基礎技能を身につける必要がある。そのように、ある状況のなかで、ある課題を達成するためには、最低限の基礎技能と、それをもとにした課題克服のための技が必要になってくる。
 そのような技はどのような経過をたどって形成され、習熟されていくのか。また、初級者と中級者と上級者と超一流プレーヤーの技の本質的ちがいは何なのか。そのような問題について以下考察していく。
 
2.技の習熟過程
 1)粗協調(粗形態)の獲得
 まず、学習者は模範演技を模倣していく過程で、それまでなかなかうまくいかなかったのが、ある時突然うまくできるようになる。それは技の原型の発生であり、ここではそれを「粗協調」(以下、「粗」と略記する)の発生と呼ぶことにする。ぎこちなく、余分な動きや余分な力が入っているが、なんとか出来た、という瞬間である。
 しかし、それはいわゆるまぐれであり、またできなくなってしまうことが多い。そこで、さらに練習を積み重ねていくことにより、その人なりのコツがわかってきて「粗」の発生は「粗」の定着へとすすんでいくことになる。すなわち、「粗」の発生は課題達成のために不可欠ないくつかの技術(この段階の技術は未だ完成度が低いという意味でここでは前技術と呼ぶ)の瞬間的な同調にすぎない。一方「粗」の定着は技術間の同調が一応身についたと言うことになる。
 「粗」の定着に至った学習者は、この段階に至ってようやく自分の技(「粗」レベルの技)でもって、そのスポーツを楽しむことができるようになる。
 しかし、もしこの段階で満足して、それ以上のレベルの向上にいたる努力をせずに、そのスポーツを楽しむことのみに意識がいってしまうと、その人の技は「粗」レベルの技のままで自動化されていき、欠点の非常に多い自己流の型ができあがってしまう。そのような人の技の特徴としては、余分な動きや力、運動の不正確性があげられる。
 したがって、もしそれ以上のレベルの向上を望むならば、「粗」の技が自動化される前に、技術の完成度を高めていきながら次の「精協調」(以下、「精」と略記する)の取得を目指す必要がでてくる。
 
 2)精協調(精形態)の獲得
 「精」の獲得過程にあっても「粗」と同様、「発生」と「定着」が区別される。その過程にあっては、「粗」の定着によりいったん身についたリズムが破壊されることが多い。それはいったん同調していた技術(ここでは前技術)の改善を試みることにより、技術間の同調が一時的に乱れることによる。それも練習をくりかえす過程で、前段階と同様、ある時偶然に個々の技術がうまく同調し、今までにない感覚で楽にその技を遂行できる瞬間が訪れる。すなわち、「精」の発生の瞬間である。しかし、その同調も偶然的であるために、またうまくいかなくなる。この繰り返しにより「精」は徐々に定着されていくことになる。
 ここに至ってようやくその人の技は前段階では欠点の多い粗形態であったものが、確かな技術に裏打ちされた精形態となる。その人の技の特徴としては余分な動きや力がほとんどなくなり(すなわち、動きがなめらかになる)、運動も前段階に比べ、はるかに安定した正確なものとなる。
 ところが、この段階においては技の習熟度によって、外見的には運動の安定性や正確性などの程度によって、実際には様々なレベル差が見られる。例えばスキーで言えば全日本スキー連盟の1級のウエーデルンとその上のテクニカルやクラウンのウエーデルンを比較すると、そのレベル差は難斜面で滑らせれば歴然としてくる。もちろん1級レベルのウェーデルンになれば一応「精」の段階に達していると言うことができる。しかし、もしやさしい斜面でできたウエーデルンも急斜面やアイスバーンや深くて堅いこぶ斜面などではうまくいかないということになると、そのウエーデルンは未だ多様な条件や状況を克服するだけの応用力(すなわち、高いレベルでの技術の習熟度)を備えていない、と言うことになる。
 したがって、より上のレベルを目指す場合には、ある状況で一応の「精」の定着が見られた後も、その技を様々な条件や状況の中で試していくことにより、技術の習熟度をより高めていきながら、さらに「精」に修正を加えていく必要がでてくる。
 したがって、この段階においても、どのレベルで満足してしまうかによって、同じ「精」の段階にあっても、その技の習熟度が異なってくる。それ以上の技の習熟をはからなければ、その人の技はそのレベルで自動化されていくことになる。
 
 3)最高精協調の獲得
 そして、最終的にいかなる困難な状況や課題が与えられても、またどのようなプレッシャーの中でも、自分の技を安定的に使えるようになってくると、その人は「最高精協調」(以下、「最高精」と略記する)と言うべき段階に至ったことになる。そのような段階に至った人の技には、その人独特の美しさが存在する。それはもはや、技術として取り出せるものではなく、高度な技術に裏打ちされた個性と言ってよい。したがって、それは誰にも真似できないし、たとえ表面的な運動経過の特徴を真似したところで、それは自分の技にはなんら役立たない。
 
 4)技の習熟過程の図式化              
                  「精」4の発生→定着→「精」5の発生→定着→「精」6→→→→ 「最高精」

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                「精」3の発生→定着→自動化
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           「精」2の発生→定着→自動化
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     「精」1の発生→定着→自動化
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「粗」の発生→定着→自動化
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 初期技能
 
注:自動化は学習者が技の修正を怠ることにより生ずる。学習がいわゆる「あそび」になってしまうと、そのような自動化の過程をたどり、それ以上のレベルに進むことはできなくなる。

「できること」と「わかること」PART2
ーできていくプロセスー