<「出来る」ことと「わかる」こと:Part2「3種類のわかりかた」>
発達心理学者のJ.ピアジェによれば、「わかりかた」は個体発生的には三つの段階を経て発達していくという。第一段階は「感覚運動的認識」に基づく「わかりかた」、第二段階は「心象的認識」に基づく「わかりかた」、第三段階は「概念的(言語的)認識」に基づく「わかりかた」である。生後まもない乳児は知覚と基本的な運動をたよりに、周囲の環境を感覚運動的レベルで理解していく。その後、「自己中心的言語」の発生および「心象的認識」が可能となる。すなわち、いまだ本格的な概念を有していない個人的な言語が出現し、目の前にないものを心象として保持出来るようになる。さらに発達が進むと自己中心的な言語は本格的な一般性を持った概念となり、「概念的認識」に基づく概念的(言語的)「わかりかた」が可能となってゆく。
すなわち、J.ピアジェによれば「わかりかた」には三つのレベルがある、ということになる。第一は「感覚運動的わかりかた」、第二は「心象的わかりかた」、第三は「概念的わかりかた」である。日常的な言葉の使い方では「君の言うことはよくわかる」とか「講義などがよくわかる」というのは、頭で、もしくは論理的によくわかるという「わかりかた」であり、それは「概念的わかりかた」に相当する。一方、「はっきりはわからないがなんとなくわかる」とか、図にしてみるとよくわかる「わかりかた」は「心象的わかりかた」に相当する。そして、「なぜ出来るかはわからないが上手に出来る」とか、できた瞬間「わかった!」というのは、からだでわかる「わかりかた」であり、それは「感覚運動的わかりかた」に相当する。
このように日常的には「わかる」といっても様々な「わかりかた」が存在しながらも、それらをすべて「わかる」という同じ言葉で言い表している、ということに気づく。したがって、「わかっている」といっても、身体でわかっているのか、何となくわかっている程度なのか(この場合は、実はよくわかっていないことが多い)、頭でわかっているだけなのか、その「わかりかた」の中身が大きな問題となる。