<「出来る」ことと「わかる」こと:Part1「名選手必ずしも名コーチならず」>
幼稚園児でも逆上がりが出来る子はそれほどめずらしくない。しかし、その子に「逆上がりが出来るのはなぜ?」と聞いてみても答えられる子はまずいない。たとえ、幼稚園児でなくても高校生でも大学生でも「逆上がりが出来るのはなぜか?」「逆上がりが出来ないのはなぜか?」「逆上がりが出来るようにするにはどうしたらよいか?」という質問に対して、論理的に答えられる人はほとんどいないだろう。
このように、われわれはあるスポーツや技がたとえ上手にできても、それがなぜ上手に出来るのかはわかっていない場合がほとんどと言ってよい。つまり、出来ていても、なぜ出来るのかはわかっていないし、わかっていなくても出来てしまうのである。「名選手必ずしも名コーチならず」という格言の一つの論拠はそのような「出来る」ことと「わかる」ことの違いからくる。たとえ、名選手であっても、自分がなぜ上手に出来るのかを正しく理解する事は容易ではない。そのためにはグランド上ではなく、机に向かっての知的トレーニングが必要になってくる。
一般に、「上手な人なら間違って教えるはずがない」と思われがちだが、そうでないことは以上のことから理解してもらえるだろう。確かに上手な人は実際に動いてみて模範演技を見せることは出来る。(例え上手な人でも、その上手さの程度によっては、その人の演技がまだまだ熟練の域に達していなかったり、熟練者から見れば問題点が少なくないこともある)。しかし、本来なぜ上手に出来るのかがわかっていなければ、ある程度の模範演技はできても、どうすれば出来るようになるかを教えることは出来ない。模範演技には問題がなくても、その指導者の解釈に問題があれば、誤った説明や誤った指導法が成される可能性は大いにある。そのような場合、本人は正しく教えたつもりでも、教わった方は一向に出来るようにはならない、ということになりかねない。
それでは「出来る」ことと「わかる」ことはどのように違うのか。これからしばらく、その問題について考えていこうと思う。