<内省的反復の方法> 
 これまで、上達のための反復練習は同じ動作の繰り返しではなく、より良い動きを求めての繰り返し、すなわち内省的反復が必要であることを説明してきた。そのためには、具体的にどのような態度や方法が必要になってくるかを次に考えてみたい。
 1)「見ること」
 まずは、どのように動いたらよいのかを見たこともなければ、動けるはずはないだろう。そのために、人はまず見ることから始める。
 見るときは指導者や上手な人の動きを見るだけではなく、自分と同じレベルの人や自分よりも下位レベルの人の動きも観察することが重要である。上手な人を見ているだけでは一体どこが上手なのかは見えてこない。様々なレベルの人を見ることによって、上手な人と下手な人とでは一体どこがどう違うのか、下手な人はどういう動きが欠けているのか、上手な人はどういう風に動いているのかが少しずつ見えてくるだろう。この場合、もちろんただぼんやり見ていても何も見えてこないことは言うまでもない。そこでは、何かを「見抜く」、もしくは「見分ける」という態度が必要になってくる。それでは「見抜く」、もしくは「見分ける」ためにはどうしたらいいのだろうか?
 2)「知ること」
 既に「見えるということ」の中で述べてきたように、「見抜く」もしくは「見分ける」ためには見ようとしている事柄についての知識が必要となる。多くの指導者は言葉によるレクチャーを交えながらも、見せればわかってくれるだろうと思いがちである。しかし、見ている生徒の方は見ているつもりでも、重要なことは何も見えていないのが普通である。見ても「わからない」のである。見て「わかる」ためには、見方がわかっていないと見えてこない。具体的には、どこを見たらいいのか?どういう動きを見たらいいのか?どういう動きが良くて、どういう動きが良くないのか?そういうことがわかっていないと見抜くのはなかなか難しい。
 また、「見分ける」ためには「分ける」ための知識が必要である。AをA1とA2に分けるためにはA1とA2についての知識や名称が必要である。逆に、その知識がなければ分けることは出来ない。ある特定の分野の専門家は当然のことながら、その分野についての知識が豊富である。漁師や魚屋さんは魚の種類やその名称を沢山知っている。同様にキノコの専門家はその種類を沢山知っている。したがって、食べられるキノコと毒キノコを見分けることも出来る。
 スポーツの場合、技の中の技術を「見抜く」ためには、また上手な人とそうでない人の技術上の複数の違いを「見分ける」ためには、そのスポーツについての技や技術についての知識が必要となる。技や技術についての知識がないと、上手な人の動きをいくら見ても何も見えてこないだろう。
 3)「見てもらうこと」
 自分では教わった通りにやっているつもりでも、実際には出来ていないことが多い。出来ているのか、出来ていないのか。どの程度出来ているのか。何が出来ていて、何が出来ていないのか、等を自分で発見することは極めて難しい。そこでなるべく自分のパフォーマンスを、見る力を持った他者(コーチや指導者)に見てもらうのである。よほど意識しない限り、人はどうしても自己流に流れやすい。その理由は、たとえ自分の動き方に問題があり、上手に出来なくても、既に慣れ親しんだ自分のやり方の方が、その人にとっては抵抗感がなく、やりやすいからである。今までやったことのないような動きを意識してやり続けることは、やりずらいだけに相当な努力を要する。考えて見れば、プロの選手には必ずコーチが付いている。世界チャンピオンやオリンピックの金メダリストですらコーチがいる。ロジャー・フェデラーにもラファエル・ナダルにもタイガー・ウッズにもコーチはいる。そのような超一流の選手でさえ、第3者の目を必要としている。ましてや、はるかにレベルの低い人には、その必要性はもっと高いはずである。ではコーチや指導者が身近にいない場合はどうしたらよいだろうか。自分の例で恐縮だが、私はスキーの練習をコーチがいないためにほとんど一人でやっていて、ゲレンデにガスがかかっている時や雨の日を除いて、午前と午後の2回、ゲレンデの端に三脚を立て、ビデオをセットして、そこに向かって滑っていくことで自分の滑りをビデオ撮りしている(もちろん撮りっぱなしなので、他人も写っているが、それは後で編集することになる)。昼休みと夕食後は編集して、自分の滑りとデモンストレーターの動画を比較分析して、パフォーマンスの改善に役立てている。テニスでも時々同じやり方でビデオ撮影を行っている。私のipadやiphoneには多くのプロスキーヤーやプロテニスプレーヤーの動画が入っている。毎回、自分のパフォーマンスをビデオで見て思うことだが、自分では相当意識してやっているつもりでも、まだまだ不十分なことに気が付く。それを見てからゲレンデに出るのと、見ないでゲレンデに出るのとでは相当モチベーションが違ってくる。もし、そのようなことをやらずにいたら、結局自己満足に終わってしまい、進歩はないだろう。
 他人の目で「見てもらう」か、それが出来ないときは自分自身で自分の動きをビデオ等で客観的に分析することにより、自分が動いているときには気が付かなかった問題点が少しずつではあるが、新たに見えてくるようになる。
 4)「意識すること」
 「見ること」「知ること」は自分がプレー中には出来ない。「見てもらう」のは他者の目であり、自分の目ではない。では自分がプレーしているときは、何をすべきか。それは自分が動いている、まさにその瞬間に自分の動きを自分で観察するのである。それを「自己観察」という。即ち、それは自分の動きを「意識すること」に他ならない。「意識するということは1つの行為である。認識される意識は、この行為の対象である。」(P.フルキエ『哲学講義 認識T』筑摩書房)何も意識せずに、即ち身体を動かすという行為以外のことは何もせず、ただその状況に身を任すのではなく、自分が動いているときの運動感覚に耳を澄ますのである。「運動の自動化」により、意識しないで出来ることに越したことはないが、上手くいかないときには、なぜ上手くいかないのか、自分の身体は今どうなっているのか、どんな動きをしているのか、自分の身体に聞いてみるのである。どのように聞くのか。自分の身体が感じていることに意識を集中するのである。今もっとも修正すべき箇所や、自分が陥りやすい欠点に関して、どの局面でどのような注意を払い、どうすべきかに意識を集中するのである。この場合、意識する対象は1つに絞るべきである。なぜなら人は同時に2つの対象を同じように意識することは出来ないからである。先ず、手もしくは足を、次に他の部位をと言う具合に時間をずらして意識するしかない。そのように自分の動きや運動感覚を意識することによって、徐々に運動感覚が研ぎ澄まされ、自分の動きも感じられるようになり、自分の動きをコントロールできるようになってくる。
 上手くなりたいなら、ただ身体を漫然と動かすのではなく、そして偶然まぐれで出来てしまうのを気長に待つのではなく、自分の身体がどう動いているのかを意識することにより、積極的に自分の動きを改善していくことである。