<上達に不可欠な反復について考える>
新しい動きを覚えるのに反復練習が不可欠であることは言うまでもない。しかし、その機会がそれこそ日常的にある、「歩く」、「走る」、「自転車に乗る」等の日常的に行われる運動(以下、日常運動と呼ぶ)ならいざしらず、日常以外にその場と時間を求めなければならないスポーツとして行われる運動(以下、スポーツ運動と呼ぶ)においては、単なる機械的な繰り返しと、考えながらの繰り返しとではその上達スピードには明らかな違いが生ずることになる。ここでは前者を「機械的反復」、後者を「内省的反復」と呼ぶことにする。(「内省」とは辞書によれば「深く自己を見つめ直す」、心理学などでは「自己の意識経験を観察する」というような意味合いで使われ、単なる反省よりは、自らの行動や実践に、より深い注意や考察や思考を加えたものである。)
なぜなら、機械的反復は自分が実施した動きに反省を加えることなく、ただ同じ動作を機械的に繰り返すのみのため、欠点や悪い癖までもが、その機械的反復により「自動化」されていくからである(反復練習により、意識しなくても自動的に身体が動くようになることを、運動の「自動化」という)。何も考えず、ただ同じ動作を繰り返すだけの練習‐例えば、テニスの練習などで初級者に行わせる「フォーム(形)を作るための素振り」などは特にそういう傾向がある‐では上達が望めないばかりか、反復回数が多ければ多いほど、時間をかければかけるほど、欠点や問題点も自動化され、ますます悪い動きが固まり、後から改善することがより難しくなる。
ここで「フォーム(形)を作るための素振り」が上達する上で、なぜ役に立たないのかについて少し詳しく考えてみよう。スポーツで要求される動作が、日常で要求される動作と明らかに異なる点は@「日常動作にはない特殊な動き」とA「スピード」とB「高度な正確さ」の3点であろう。すなわち、スポーツでは「日常動作にはない特殊な動き」を、速い「スピード」を伴って「高度な正確さ」で行うことが要求される。そしてそれらの習熟度が高ければ高いほど上級者と呼ばれ、低い人は初級者と呼ばれる。したがって、スポーツ運動の習熟にあっては当該スポーツで要求される様々な技を素早いスピードで、しかも正確に行うことが要求されてくる。ところが一般的なスポーツ場面では、ある一つの技を取り上げても、その技が展開される状況は無数に存在すると言っても過言ではない。例えばテニスのグランドストロークでは、実際の試合の場面でその技を駆使する状況は、相手からのサービスや返球されたボールの回転、方向、スピード、落下地点、自分の立っている位置、相手の位置などにより、それらの組み合わせを考えると、その状況はほとんど無限と考えてよい。素振りで身につけるべきことは形を作ることではなく、技の中の技術要素を身につけることである。
以上のことから、グランドストロークを覚える場合も、それは単にその形を身につけただけではなんにもならず、無限にある中のかなりの状況で、しかもかなりの確率でボールをタイミング良くとらえることが出来て、初めて身に付いたと言える。その習熟度はどの程度の難しい状況に対応できるかによって決まってくる。つまりスポーツ運動に習熟するということは、なるべく多くの特殊な状況で技が自動的に展開されるように練習を積むということに他ならない。
そのような練習の仕方(記憶の仕方)はD・A・ノーマンの、記憶における「特殊化による自動化」に他ならない(D.A.ノーマン『記憶の科学』、紀伊国屋書店、1982)。我々はかけ算の九九を一つ一つ丸暗記して覚えてきた。スピードさえ要求されなければ、本当は九九を丸暗記する必要はない。A×BはAをB回足し算していけばよい。かけ算はそのような数式(ノーマンはそのような、時間はかかるが汎用性の高い法則を「一般的図式」と呼ぶ)でも計算可能である。しかし、そのような一般的図式による計算では非常に時間がかかる。そこで我々は九九の一つ一つ(一つの特殊な状況にしか当てはまらない図式で、ノーマンはそれを「特殊的図式」と呼ぶ)を丸暗記してきたのである。九九の特殊的図式を全て覚えてしまえば瞬時に九九のかけ算は出来てしまう。
この原始的な記憶方法は、まさに瞬時に結果を出さなければならないスポーツ運動のそれである。ボールがビデオのスローモーションのごとくゆっくり飛んでくるならいざ知らず、速いスピードで飛来してくるボールに対して、素早く落下地点に動いて、タイミング良くボールをヒットするには、身体は自動的、反射的に動いてくれなければ間に合わない。すなわちスポーツ運動では汎用性はあるが時間がかかる一般的図式は役に立たない。個別の特殊な状況にしか対応出来ない特殊的図式をなるべく多く、一つ一つ身に付けていくしかないのである。しかもその特殊な状況に瞬時に自動的に、しかも正確に身体が動いてくれるようになるまで練習していかなければならない。あるスポーツに秀でるにはものすごく時間がかかるのはそのためである。また、どれほど多くの特殊的図式を身につけているかによって、そのレベル差(習熟度)が大きく異なるのもそのためである。
様々な状況に対応した正確な動きが、瞬時に、しかも安定して求められるスポーツ運動においては、ただ単に同じ動作を繰り返すのではなく、いかなる状況においても素早く、しかも安定して対応できるように、現状に満足することなく、様々な状況に身を置いて、少しでも質の高い、良い動きを求めていく努力が必要となる。そして、そのような努力は内省的反復により初めて実を結ぶことになる。
人はよく努力や練習の大切さを言う。「努力は必ず報われる」「練習は嘘をつかない」「練習は裏切らない」「継続は力なり」などと言う。ここであえて言わせてもらおう。「努力は必ず報われるとは限らない」「間違った努力や間違った練習は間違った結果をもたらす。それは時に人を裏切る。努力や練習はもちろん大切だが、努力や練習の仕方を間違えてはいけない。継続は正しい継続で初めて力となる。」と。次回は内省的反復の具体的中身について考えていこう。