「なぜ練習すると上達するのか、なぜ練習してるのに上達しないのか」

問題の背景:
 あるスポーツを修得する場合、反復練習は不可欠であり、それなくして上達はあり得ない。しかし、反復練習するとなぜ上達するのか、なぜ身体が覚えてくれるのかということをひるがえって考えてみると、明確な答えは出てこない。また、一方で沢山反復練習しているにもかかわらずなかなか上達しない人もいる。また、上達は急激に進むことはなく段階的に徐々にしか進まない。すなわち初級者が中級者を飛び越えて上級者になることはまずあり得ない。それらはなぜなのか?
 以下、そのようなわかっているようで実はよくわかっていない事柄について、2人のスポーツ以外の分野の研究者の理論をスポーツに当てはめて考えてみたい。

1.「運動発達は感覚・運動に関する特殊な自動的反応(特殊的図式)を一つ一つ身体で覚えていくことにより可能となる」というドナルド・A・ノーマンの「特殊化による自動化」理論からヒントを得て。

 スポーツで要求される動作が日常で要求される動作と明らかに異なる点は@日常動作にはない特殊な動作とA高度なスピードとB高度な正確さの3点であろう。すなわち、スポーツでは「日常動作にはない特殊な動作」を「高度なスピード」と「高度な正確さ」で行うことが要求される。そしてそれらの習熟度が高ければ高いほど上級者と呼ばれ、低い人は初級者と呼ばれる。
 したがって、スポーツ運動の習熟にあっては当該スポーツで要求される様々な技を素早いスピードで、しかも正確に行うことが要求されてくる。ある一つの技を取り上げても、その技の実施状況は無数に変化すると言っても過言ではない。例えばテニスのフォアハンドのグランドストロークを取り上げても、その技を駆使する状況は相手からのサービスもしくは返球されたボールの回転、方向、スピード、落下地点、自分の立っている位置、相手の位置などにより、それらの組み合わせを考えると、その状況はほとんど無限と考えてよい。そのような理由により、フォアハンドのグランドストロークを身につけると言っても、それは単にその形を身につけただけではなんにもならず、無限にある中のかなりの状況でボールをタイミング良くとらえることが出来て初めて身に付いたと言える。その習熟度はどの程度の厳しい状況に対応できるかによって決まってくる。つまりスポーツ運動に習熟すると言うことは、なるべく多くの特殊な状況で技が自動的に展開されるように練習を積むということに他ならない。
 それはドナルド・A・ノーマンの記憶メカニズムにおける「特殊化による自動化」に他ならない。我々はかけ算の九九を一つ一つ丸暗記して覚えてきた。スピードさえ要求されなければ、本当は丸暗記する必要はない。A×BはAをB回加算していけばよい。かけ算はそのような一般的図式(法則)でも計算可能である。しかし、そのような一般的図式による計算では非常に時間がかかる。そこで我々は九九の一つ一つ(一つの特殊な状況にしか当てはまらない図式)を丸暗記してきたのである。九九の特殊的図式を全て覚えてしまえば瞬時に九九のかけ算は出来てしまう。
 この原始的な記憶方法はまさにスポーツ運動のそれである。スポーツ運動にあっては、まさにスピードが要求される。ボールがビデオのスローモーションのごとくゆっくり飛んでくるならいざ知らず、ものすごいスピードで飛来してくるボールに対して素早く落下地点に動いて、タイミング良くボールをヒットするには、身体は自動的、反射的に動いてくれなければ間に合わない。すなわちスポーツ運動では汎用性はあるが時間がかかる一般的図式は役に立たない。個別の特殊な状況にしか対応しない特殊的図式を一つ一つ身につけていくしかないのである。しかもその特殊な状況に瞬時に自動的に、しかも正確に身体が動いてくれるようになるまで練習していかなければならないのである。
 あるスポーツに秀でるにはものすごく時間がかかるのはそのためである。また、どの程度の特殊的図式を身につけているか(記憶しているか)によって、そのレベル差(習熟度)が大きく異なるのもそのためである。
 ところで、そのような特殊的図式は一つ一つ覚えていく(記憶していく)ものであるにしても、スポーツ運動のような特殊な運動や動作を覚えていく場合、それらはいったいどのようなメカニズムで身に付いていくのだろうか。この問題に関してはPiagetの均衡化理論が大きなヒントを与えてくれる。

2.運動発達を生体の感覚・運動機能が持っている感覚・運動シェマ(構造)の均衡化に向けての発達と考えるj.piagetの均衡化理論からヒントを得て

 生物学者であり、心理学者でもあったPiagetは人間の知的発達や心的発達を環境に対する一種の適応行為と考え、生体は絶えず食物を消化吸収していきながら同化していくように環境を同化しつつ、うまく同化できないときは、環境とうまく適応していけるように、自身の心的構造や適応プログラムを変更、調節していきながら同化可能領域を広げていくとしている。『行為には外部に向かって展開していくものと、思考として内部化されるものと、二つの種類がある。しかしどんな種類のものにせよ、それは、「適応」の形をとる』(『知能の心理学』、p.11)
 Piagetはそのことを乳幼児の知能や認識の発達過程を実験と観察を繰り返しながら、その構造を論理学的に分析している。すなわち彼によれば、生体は環境の同化と、同化不能の時は環境に合わせるべく自己の構造の調節を繰り返しながら、常に自分自身の適応構造を拡大、発展させていきながら発達していくとしている。彼はそのような構造をシェマと呼んでいる。シェマはその構造のタイプにより心的シェマ、感覚・運動的シェマ、言語的シェマ、概念的シェマ等、様々に呼ばれている。いずれにせよシェマは環境を同化するための構造であり、常に同化・調節を繰り返しながら、より適応範囲の広い、より安定したシェマへと発達していくのである。
 さらに彼はその発達プロセスにおいては外的、内的に様々な攪乱状態が発生し、その都度シェマは同化不能に陥り、不安定で不均衡な状態が発生するが、それに対応すべくシステムの調整機能(シェマの調節)によって新たなより高次の均衡状態が生まれるとして、そのような均衡(安定)と不均衡(不安定)のらせん状の弁証法的発達プロセスを「均衡化」と称している。
 Piagetは主として心的発達や知的発達の側面から、各々の発達段階において、環境と適応し、かつ環境を認識し操作するための固有のシェマが存在するとしているわけであるが、運動発達の側面に関してもまったく同じように考えることが出来る。Piagetの謂う「外部に向かって展開していく行為」とはまさに身体運動なのだから。身体運動とは与えられた環境の中で、ある課題を達成すべく身体の動きを与えられた環境に適応させていくことである。すなわち、運動発達とは環境に対する外部に向かった適応行為の発達に他ならず、それはより安定した、適応範囲の広い感覚・運動構造(ないしは感覚・運動プログラム)のより高次の均衡化に向けた発達に他ならない。
 ここでスキーというスポーツを例に考えてみよう。スキーを全くやったことがない人が初めてスキーの板をはいて斜面に立てば、あっという間にバランスを崩して転んでしまうであろう。それは自分が所持している感覚・運動シェマではそのような状況に対応できない(適応できない)からである。そこではその状況に対応するために(その状況を同化するために)新たな感覚や新たな姿勢制御の運動が必要になってくる。すなわち新たな感覚・運動シェマが必要になってくる。それはもちろん一から全く新しく作り出されるものではなく、今までの感覚・運動シェマを基にして(手がかりにして)、それを与えられた環境に適応できるように調節しながら変更を加えていくことにより発生してくるものである。そしてごく緩い斜面で転ばずに滑れるようになれば、その人はその斜面に対応した感覚・運動シェマが身に付いたということが出来る。しかしその安定状態(均衡状態)もある限度内では安定しているが、その限度を超えればたちどころに安定を失うことになる。もう少し斜度のある斜面に立てば、また再び従来の感覚・運動シェマでは適応不能となり、さらに新たなシェマが必要になってくる。これを繰り返していくことにより、少しずつ適応範囲が広まり、より多様な斜面や雪質や条件で、すなわち多様な環境の中で滑走できるようになってくる。このように生体は様々な環境状況に遭遇するたびにシェマの調節を繰り返していきながら、より適応範囲の広い、より均衡化されたシェマが獲得されていくことになる。

3.Piagetの謂う構造とは何か
 ここでいう構造はもちろん機械などの物体のそれではなく、生物としての有機体が環境と対峙する中で、その環境をどのように理解し、どのようにその環境と適応していくかという、その内的システムのことを謂う。市川によれば(『ピアジェ思想入門』)その構造には3つの基本的特徴があるという。
 1)構造は全体的関連性を有する(全体的関係性)
 構造はもちろん要素によって成り立っているわけであるが、その1つ1つの要素もまた1つのまとまりのある構造を有しており、その下位構造はさらに複数の要素で成り立っている。それらの要素はその要素のみで固有の意味や機能性を有しているわけではなく、全体の中におかれ、その関連性の中で初めて意味を持ってくる。すなわち要素を全体との関連性を抜きにして、分離して切り離して考察してもその要素(それも1つの構造である)の全体の中で担う機能や役割をとらえることは出来ないのである。 スポーツ運動で言えば、ある特徴的な部分的動きのみを取り出して、その動きのみを身につけようとすることは技の全体的関連性を無視した練習と言わざるを得ない。
 2)構造は外部との関係で常に均衡化に向けて変換しうる(変換性)
 全体としてあるまとまりを持つ構造は外部に対して閉鎖的なものではなく、外部環境との関係で、常に攪乱され不安定な状態に置かれる中で、より安定した構造に向けて、すなわち不均衡な状態からより高度の均衡状態へ向けて構造の変換を余儀なくされる。それは次の自己制御により可能になる。
 3)自己制御による可変的な発生システム(自己制御性)
 市川の言葉を借りれば自己制御とは自らが自らを形成、自己構築していく機能であり、Piagetの構造は「常に自己制御、調整しつつ、自らを高次な段階へと均衡化させていく可変的な発生システムなのである」としている。すなわち、Piagetの構造はシェマの基本的機能である同化・調節という自己制御を繰り返しながら、常に現在の構造を再構築していく可変的な発生システムに他ならない。

4.ノーマンの図式とPiagetのシェマの違い
 ある行為を行う場合の特殊的図式群の集合体がシェマと考えられる。例えば逆上がりという運動を例に考えてみると、逆上がりが出来るようになるにはいくつかの特殊的図式群(複数の技術)が必要なわけで、それらが獲得されて初めて逆上がりが出来るようになる。逆上がりを行ううえでの必要不可欠な特殊的図式群の集合体が逆上がりのシェマになる。しかし、最初にできあがったシェマは未だ不安定要素を含んでおり、ちょっとしたことで再び不均衡状態に陥ることもある。しかし、不均衡状態に陥ることにより、さらにシェマの調節が促され、より均衡状態の安定したシェマが獲得されていくことになる。すなわちより習熟度の高い洗練された逆上がりが獲得されていく。